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<title>産前産後ケア専門かおりビューティサロンができるまでの軌跡</title>
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産前産後ケア専門かおりビューティサロンオーナーセラピスト/講師氷川かおり接骨院院長伊藤香織日本産前産後ケアーセラピスト協会代表本当は、夕ご飯作りながら子どもの帰りを家で待ってるようなママでいたい超インドア派の努力家ママ院長略歴出身地：東京都葛飾区萩原かおりから、子育て中・育児中のママへメッセージ☆女性の悩みすべてを喜びに変えます。子育て中・育児中のママたちの不安が少しでも楽になりますようにお手伝いさせていただきます。大きな目標は、骨盤ケア整体で、広く美を提供することで、世界中の多くの女性に元気を与えることです。現在は、埼玉県草加市で産前産後ケア専門かおりビューティサロンのオーナーとして産前産後の骨盤ケア整体はじめとする妊活サポート、赤ちゃん整体などトータルケア治療院を経営しています。～【産前産後ケア専門】かおりビューティサロン～当院の施術は、骨盤矯正だけではなく全身の骨盤ケア整体です。施術について1.不調の原因を取り除きます。体の痛みや、頭痛、疲労、などで女性特有の不調によって、イライラすることはありませんか。一人で悩まず、お気軽にご相談くださいませ。2.痛みを改善する筋肉・骨格を熟知した専門的な知識をもとに産前産後の痛み、頭痛、肩こりなどを根本から解決します。3.骨盤ケア整体+骨盤底筋トレーニング産前産後の体はとくにデリケートです。骨盤矯正にはさまざまな技法がありますが当院の骨盤ケア整体は特にソフトで優しい施術となります。無理なく続けられるように段階的に、骨盤底筋トレーニングも行います。
当院では、産後1ヶ月から施術可能です。産後しばらく経っていても、施術可能ですので、いつでもご来院ください。妊活されている方、ご年齢問わず施術できます。お子さまたちのお悩みに対しても施術ができますので、お気軽にご相談くださいませ。院長萩原かおり○1978.4.16生まれ山形県で生まれる誕生～幼稚園までは山梨県、新潟県などで育つ。幼稚園から東京都葛飾区で大学生まで育つ。○出身地東京都葛飾区○幼稚園・小学校・中学校は、東京都葛飾区立の学校を卒業小学校・中学校と、顔に大きめのほくろがあったことで、いじめの対象となっていたが、親にいじめられていることを伝えられず、根性で毎日、つらいながらも登校。小学校からいじめられつつも、いじめ返すこともなく、みんなに平等に親切にしていたら、中学校も2年生になると、いじめていた全ての人が次々と『あの時は、いじめてごめんね』と謝ってくれ、中学校卒業時には、誰ひとりもいじめてくる人はいなくなった。（念のために、、、いじめられながらも、我慢して登校した方がいいというメッセージではない。このような体験もあるということを伝えたいだけ。学校に行くことが全てではないと思っている。そして、もしできれば、親や周りの人にいじめられていることを伝え、SOS出して欲しいな、、、そんな気持ち。）○【高校】専修大学附属高等学校東京都立の隅田川高校に行きたくて、目標高校を隅田川高校目指していた。もともと、隅田川高校は努力範囲だったため、中学校1年生から、ありとあらゆる努力をしてみると、中学校3年2学期、思いもよらないくらい成績があがった。憧れの隅田川高校よりも上の学校に行けると、その当時担任だった先生に助言をいただき、その当時の担任の先生の交渉力も合わさり、中学校に入った頃には考えられないくらいの高校に入学が決まる。※今でもその当時の先生にはお世話になっており、今でも娘の学校相談や、地域や患者さんからの相談でなんとかできないかなという時は、お力を貸していただいている。高校に入ってみると、一緒に入学した友達は、優秀にみえた。例えば、10のことを理解する必要がある時、私が1理解するうちに、周りの友達は、10理解しているように感じた。幸い、仲良くしていた今でも大親友のRISAが、勉強も勉強法も教えてくれて、学習に支障なく楽しい高校生活を送った。この頃、おおむね、大学進学を希望していたが、祖母が膝が痛いと言っていたので、祖母の膝を治してあげたくて接骨院の先生になろうかなとも考えた。しかし、大学に入り、薬剤師になるという夢が小4の頃からあった。将来の進路を接骨院の先生になるか、薬剤師になるかとさまざまな人に相談した。なかなか決められずに、時間を掛けて考えた結果、この時に決めた将来の進路は、1番多く助言をいただいた◎まず、大学進学してもし、本当に接骨院の先生になりたかったら、社会人を経験してから、専門学校に行くことにした。（このときから、本当に専門学校に行こうと考えていたのかもしれません。笑笑）大学進学を決断したものの、一回で大学に受からず。○代々木ゼミナール医学部・歯学部・薬学部コースで2年の浪人生活がはじまる高校をどこにするか決める時から、理系の大学に進学する予定だった。専修大学附属高校は、文系の高校である。しかしながら、中学校の先生、両親ともに、大学受験は過酷だろうからと、大学付きの高校を勧めてくれた。この時も、一応、文化系の高校に行っても、両親にも、先生にも理系の大学に行くことは伝えてあり了承も得ていた。文化系高校であったが、高校２年生からは理数系クラスに入り、理系クラスで学んでいたが、１回で大学合格は難しかった。１浪目で受かると思っていたが、１浪目では受からず、２浪することになった。浪人生活は、未来がどうなるか不安だったが、お陰さまで両親が予備校にも通わせてくれて、取りたい授業、受けたい講座、受験したい大学など、全て希望した通りに受けさせてくれた。そのおかげで、暗いだけではないその後人生の糧となる浪人生活が送れた。（この浪人生活の時に、母は『つらい時だからこそ、お化粧もして、お洋服も好みのものを着て、華やかに美しくいようね。』と言ってくれた。この言葉が、社会人になっても、心の底にありいつもつらい時などは思い出していた。今の治療院名にビューティサロンとしたのも、いつも美しくいるお手伝いをしたいという気持ちからだ。）また、浪人生活で出会った友達がとっても素晴らしかった。浪人が決まった時は、正直、どの視点からみても悲しい出来事にしかみえなかった。高校のお友達は現役で99．8%大学進学しているため、尚の事、尚更そう感じた。※今思えば、友達と目指すものが違ったので、友達と比較することなかったのになぁと感じる。はじめて、予備校に行った日は、知っている人もいなくて、みんながライバルにみえた。しかし、、、数日経ち、講義を受けると、友達ができた。出会えた友達は、自分の持っている知識を全て惜しげもなく教えてくれるような友達ばかりだった。さらに、予備校で出会った友達は、『あの先生の授業は面白いから一緒に受けよう！』と、一人で抜け駆けすることもできたのに、いつもいい先生に出会ったり、いい勉強法があると教えてくれた。浪人時代に、特に仲良かったNORIちゃんに出会えたことは、人生の大きな宝もの。その後、NORIちゃんとは別々の大学に入ったが、今でも大の仲良しである。薬学部を目指していたが、予備校在学中に、化学のおもしろさを知って、進路変更。○東京理科大学理学部化学科入学した。とにかく楽しい大学時代だった。いつも話をするグループは、15人くらいのメンバーで、この15人の中の誰でも仲良しだった。なので、安心して学校に行けた。例えば、急に、休講になったとき、急に教室が変更になったとき、今のように、オンラインでわかるわけではないので、掲示板を見に行くのですが、先に見た誰かがみんなに連絡をくれて、講義が休講のときは、ボーリングやビリヤードに行く予定を立てる友達がいたり。。。それぞれの得意なことをそれぞれが発揮してくれて、とーーーっても、楽しい大学生活だった。このグループで遊ぶ時は、たまに予備校時代のNORIちゃんも誘って一緒に遊んだ。グループの仲間はみんな寛容だった。グループの中の人たちが心地よくいられる状態なら、だいたいのことは、認めてもらえる、居心地がいいグループだった。その頃の成功体験は、私の人生に大きないい影響を今でも与え続けてくれている。ちなみに、大学在学中教員免許状理科も取得した。予備校時代にNORIちゃんのおかげで、化学の楽しさを教えてくれる先生に出会った。そこで、化学が好きなこどもが増えるといいなと思い、大学在学中に教員免許状理科も取得した。今の時代は、ユーチューブというものがある。治療院をやりながらも化学の楽しさを発信できるような日がくれば、さらに最高である。２浪したり、社会人になってから専門学校に通ったりと一見遠回りにみえる人生だが、ここでは何にも代えがたい宝物を得た。じっくり勉強したので、中学校・高校の勉強は教えられる。子どもに勉強を教えたいけど、ど忘れしちゃった時は、施術中でも話をふってみて欲しい。特に化学と数学は、面白い方法、学校の教科書には載っていない方法で教えることができるので。（笑）○就職千代田区飯田橋にある出版社に入社職場では、多くのステキな先輩方と働くことができた。私の仕事が残っていたら、残業を手伝ってくれるような優しい先輩ばかりの職場でした。※先輩には残業手当が付かないのに、いくら断っても手伝ってくれた。今でも、そのころ先輩たちに教わった教えは私の心の中に生きていて、宝物。先輩たちにいつどんな時に会っても凛としていられるように、今でもその頃の教えを思い出しながら過ごしている。○2008年娘を出産後するため、妊娠9ヶ月まで働き退職○2008年10月7日待望の娘が生まれた。名前は、家族の誰もが、娘に名前を付けたくて、いろいろな名前の候補があがった。最終的に決めた名前は、画数をみてもらった。名前の持つ意味などいくつか言われた中のひとつに言われた言葉で印象的な言葉があった。『ママを助けるために生まれてきてくれた子どもだよ』と。その時も、生まれてすぐだったにも関わらず、そう感じたし、今はさらに確かにそうだな～っと感じる。毎日毎日娘に助けられている。娘が生まれる前から考えていたことがある。子どもが生まれたら、こういうことに気づきながら過ごして欲しいと大げさに言うと、人生の中で大切にして、生きてほしいこと、が私の中であったので、幼稚園に入るまでにしっかり伝えようと思った。例えば、身近にある草や木の変化に気づくこと、人に親切にすることなどである。言葉にするのは難しいが、生きていく時に、大切にしておいて欲しいことを、幼稚園に入る前に伝えようと思った。娘が幼稚園に入るまでは、完全に専業主婦だったから幼稚園に入るまでに、伝えたいことをだいたい伝えることができた。また、娘が幼稚園に入る前は、両親が大阪にいたので、よく大阪に連れて行った。だいたい2ヶ月に1回のペースで出掛けていた。○2012年4月娘が幼稚園入園○2012年6月娘が幼稚園に行っている間、マグロ釣りをの糸を生産する会社で午前中バイト○2012年11月頃、主人の会社が、廃業した。娘が幼稚園に慣れて来たこともあり家計の足しにするため、夕方もバイトにでることにした。おかげで、接骨院で修行もできた。娘の幼稚園が終わり、夕方5時から夜8時まで娘を連れて、接骨院の受付と見習いとして毎日（接骨院の休診日以外）、バイト＆修行にでかけた。娘を連れて、修行させてくれた修行先には、感謝してもしきれない。また、その当時一緒に働くスタッフも、娘のこともたくさんかわいがってくださった。時間が空いた時には、一緒に遊んでくれたことを、つい昨日のことのように思い出す。修行時代には、骨盤矯正（全身）、腱鞘炎の治療方法、首の歪みの取り方、など私の目指す根本治療の土台となる手技を教わることができた。○娘の小学校入学娘が小学校に入学する時に私も、柔道整体師の専門学校に入学した。○日本総合医療専門学校柔道整復師学科柔道整復師の専門学校の方が、娘の入学式よりも早く、娘を連れて、専門学校の入学式に臨んだ。その頃、両親は、大阪にいたため、入学式中に娘を預かってくれるように頼める人がいなかった。そのため、娘を連れての入学になった。専門学校の先生のありがたい計らいで、入学者の私の隣に娘の席を作ってくださり、一緒に入学式に参加させていただいた。専門学校時代の3年間の学生期間は、覚えることがいっぱいで、娘と遊んであげられなかったな。という後悔が大きくある。テレビで、小学校低学年の子がお母さんと遊んでいる姿をみると、私が娘にしてあげられなかったことなので、観ているだけで自然と涙が出てくる。マラソン大会などの学校行事や授業参観も、ほとんど行けなかった。娘の気持ちを考えると、寂しかっただろうな、と思う。娘が小学校低学年の時は過ごす時間は少なかったが、おかげさまで、3年間の学校生活後、国家資格も無事合格した。○2018年3月柔道整復師の国家資格をとり2018年5月に治療院（氷川かおり接骨院）を開業した。開院してすぐから、母も手伝ってくれた。○2019年8月治療院（氷川かおり接骨院）を開業してから、どうして治療家になりたいのか。と、考えた時、世の中の女性を救う治療家になりたいと思った。それは、私の産前産後を考えた時、子どもはかわいいし、イライラすることもない。でも、つらかったことを思い出した。なんでだろうと考えてみた。主人は、仕事が忙しく、朝の5時に出掛けて、夜中の1時に帰ってくるような忙しい人だった。そんな忙しい人だったから、家事・育児を手伝ってもらえるような環境ではなかった。そこは、1ミリも期待はしていなかったが、娘にもう少しだけ、関心を持ってもらいたかった。娘の成長を昼間、見せてあげられないため、写真やビデオを携帯に送ると『ギガが減るから送らないで。』と一言。この一言は、昼間、育児をひとりでしているものとしては、大変辛い一言だった。（この頃から、少しずつ、食べ物を食べる量が減りはじめた。）都内出身の私は結婚して、埼玉県八潮市に住んだ。近くに友達と呼べる人は当時いなかった。学生時代の友達は、まだ、子どもがいなく、また、都内が生活拠点の友達ばかりだったので、日中、会って話せる大人がいなかった。両親は、大阪にいて、すぐに何かあっても助けを呼ぶことは、難しい。主人も仕事で昼間はいない。この状況で、娘にケガがあったら大変だと、外に買い物に出かける時は、娘が幼稚園に入るまで、必ず、娘を、抱っこして出かけた。自転車も２人で乗っていて、万が一転んだら大変だと、娘が幼稚園に入るまで自転車には乗らなかった。それが、娘も普通のことでしたし、娘のケガなどの危険を考えれば抱っこしていたら、安心でしたので、私もつらさなどは感じなかった。だから、大阪に住んでいた両親が遊びに来てくれた時、外に出掛けるため、娘と私が外に出ると、娘が私に向かって『ママ、私を抱っこしていいよ！』って言った。これを聞いた両親は、『ママ、私を抱っこして』って、頼むならわかるけど、、、『ママ、私を抱っこしていいよ！』って、、、(笑)両親には、かなり驚かれたエピソードだった。どこに行く時も娘を抱っこすることは、つらいことは1ミリも感じなかったが、私の体は悲鳴をあげていた。肩や首が張りすぎて、肩や首が、足がツルかのように、肩や首がツリ、ギックリ首になるのが、日常になった。こんな時、こどもと一緒に通える治療院があればいいなと思った。さらに、子育て・育児のこと、主人に娘にもう少し関心を持ってほしいことなど、一言二言でもいい、大人の人と会話が出来る場所が欲しいと思った。娘は、生まれた時から親孝行だった。だから、子育て・育児がつらくても、毎日、娘が生まれてきてくれたことに感謝していた。そんな私でさえも、やっぱり子育て・育児はかなりつらかった。それは、一言では、なにがつらいかは伝えられない。でも、つらい。現に、幼稚園年長の頃には、拒食症になり、一口も食べ物が食べられなくなった。しばらく続いた、拒食症だったも友達のおかげで、病院など医療機関に頼らず治った。今では、多い時は、ご飯をお茶碗3杯食べる。この拒食症のことは、書くとさらに長くなるため、ここでは、割愛する。しかし、拒食症だったことを隠すつもりもなく、拒食症に悩んでいる人、拒食症になりそうな人の役に立てるのであれば、誰かのためになるなら、どんどん開示していこうと思っている。私の産後のような、女性がひとりでも減りますように。そう思いを持ち、接骨院を開業後、さらに専門的に【産前産後ケア】を学び○2019年8月産前産後ケア専門治療院（かおりビューティサロン）を接骨院に併設今まで累計10,000人以上の方の整体を行ってきた。当院へご来院されたそのほとんどの人が妊活中、妊娠中、産後の悩みは我慢して耐えるしかないといった経験を持つ方だった。もしあなたが・・・◎腰痛やひどい肩こり頭痛などの不調がある◎股関節や恥骨、尾骨に痛みがある。◎不妊に悩んでいる◎妊娠中でも対応できる整体院を探している。◎質の良い骨盤調整やマタニティ整体を受けたい。◎産後太りで体型を出産前、結婚前に戻したい！◎仕事復帰までに体を整えたい。などとこのように悩んでいるのであれば、あなたにとって当院は必ずお役に立てるはず。何院もの病院、治療院を渡り歩くのは本当に大変。中には行こうか行くまいかと何ヶ月も悩んでいる方もいる。当院を、選ばれる理由のひとつに丁寧な問診&歪み検査それを受けてから治療方針を提示それから施術をはじめられる点も挙げられている。妊活中、妊娠中、産後の悩みを抱えている人は、ぜひ相談して欲しい。2019年8月氷川かおり接骨院内産前産後ケア専門かおりビューティサロン併設このタイミングで、保険治療から自費治療がメインに変更。2021年11月草加市商工会議所青年部に入りたくさんの新しい友たちと出会う現在に至る現在治療院では、私と同じ思いで働いてくれているパート・アルバイト合わせて5人とともに、毎日楽しく施術している。治療院を目指すことになった理由のひとつ～主人の会社が廃業～代表略歴の中に、接骨院受付開始とあるがちょうどその前後に、主人の会社が廃業となる。主人が働く気力がなくなり、今後は私が働くことになった。今後、どのように働いていこうかと考えた時、高校生の時、進路先を決める時に、大学に行くか、接骨院の先生になるか迷ったのでできるなら、接骨院の先生を目指したいと思い再度、治療家になることを決意。今後、娘を育てていく中で、長く働くのだったら自分でやりたいことに再挑戦してみたいと思った。オーナー接骨院を開くには、接骨院への修行が必要だった。当時の私は、修行するには、娘を連れて行くことが必要だった。当時は、それがひとりで留守番させるより、最良だと思った。再起をはかり治療院でアルバイトそれまでの人生、治療にかかわらずに来た人生だった。主人の廃業に伴い、家も車も大事にしていたものも手放した。このような状況でも、私のもとに産まれてきてくれた娘を、ほかのお友達と同じように普通でいいから、何不自由のない生活をさせてあげたいと思った。今ある状況がなかなか、受け入れられず拒食症へなった。一番不調なときは、一日に一口も食べられなかった。そんな状況下でも、頑張れたのは、娘の存在が大きかったと思う。接骨院勤務もいいところもたくさんあるが、勤務拘束時間が長く、娘の授業参観など出てあげられなかった。そして、接骨院でバイトしている時に、オーナー治療院を作ってやると決意。そして、専門学校に行ってる間に、短期集中して接骨院でバイトしながら技術を磨くと誓った。娘と遊ぶ時間はほとんどなく、出掛ける車の中でも常に勉強していたことを思い出す。その頃、娘は、もくもくと、図工工作。ダンボールでパソコンやガチャガチャ。買ってあげられないおもちゃも次から次へと工作。その頃の娘の作品は、１０年近くたった今も、未だに捨てられない。マイサロン氷川かおり接骨院開業201８年３月、無事専門学校を卒業、免許取得。翌月の５月に念願のマイサロン氷川かおり接骨院をオープン。出身は葛飾区のため、知り合いがいないので一から集客。まず認知してもらいたい、、、そこからスタートの治療院だった。修行時代に痛感したこと、接骨院は長く通って、結局治らないと思われているところ。そこをなんとか汚名返上したいと、接骨院は治すところ。しかも、短期間で。を目標にしていた。修行時代は一般的な接骨院でのギックリ腰などの治療のほか、他院ではなかなかやっていない痛くない骨盤矯正（全身）腱鞘炎を治す技術、睡眠を改善する技術など習得。また、接骨院修行時代は、修行先で学ぶだけでなく、積極的に講座など受け、さまざまな治療技術も習得。その努力が実り、接骨院を開いたときは、修行時代に得た知識で開院当初から、来てくれた人の口コミで患者さんが増えていった。しかし、接骨院の保険請求が日に日に厳しくなり、、、保険治療を続けていくことに不安がでてきました。そこで2019年より産前産後ケア専門のかおりビューティサロンオープン。萩原かおりが目指すもの”産前産後ケアの必要性を広く知っていただき、体の不調をなくし健康になることを知っていただきたい。そして妊娠・出産を経験しても尚、ママだからできない、ママだからと我慢するのではなくひとりの女性として輝いてほしい”という想いを胸に、開院した。特に、こだわっているところは、骨盤矯正だけではない骨盤ケア整体（全身）ソフトな整体なのに非常に高い効果が得られるところだ。骨盤ケア整体ときくと、痛いイメージを抱くと言われる。しかし、実際は眠ってしまうくらい。。。とよく言われる。まだ、受けたことがない方には、ぜひ受けてみて欲しい。私も出産を終えたひとりのママとして、ひとりひとりの患者さまと向き合いながら、少しでもママたちの毎日に不安がなくなるよう導きます。【産前産後ケア専門】かおりビューティサロン院長萩原かおりプライベートでは、ゴルフとピアノ演奏が好きです。また、食べ物は、フルーツとパフェが大好きです。

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<link>https://kaori-beauty.jp/column/detail/20250604165433/</link>
<pubDate>Wed, 04 Jun 2025 16:57:00 +0900</pubDate>
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<title>より豊かに輝くライフイベントを応援</title>
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骨格や筋肉を整えて、本来持つ生命力と自己治癒力を最大限引き出しお悩みを解消へと導くよう、多彩なメニューを取り揃えております。骨盤の歪みや開き、傾きをしっかりと整えて、笑顔で毎日を過ごしましょう。妊活や妊娠出産、育児など、一人ひとり異なる女性のライフイベントが個性を生かしてより豊かに輝くよう、豊富な経験と幅広い実績に基づく専門ケアで導きます。
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<link>https://kaori-beauty.jp/column/detail/20240417151603/</link>
<pubDate>Wed, 17 Apr 2024 09:00:00 +0900</pubDate>
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